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2008年6月

こんなクルマ初めて見た

・・・・・01

都心の地下駐車場にて。
作りかけのレーシングカーかと思ったら、
完成品のナンバー付き車両だった。

ボディサイド(というかフレームサイド?)は
透明のパネルだけなので、乗っている人の全身が外から見えるだろう。
用心のためかハンドルは取り外してあり、
運転中にかぶっていると思われるアイルトン・セナのレプリカヘルメットが
コクピットに置かれていた。

きょうはお買い物で?

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写真展感想メモ〜その3
「揺れ動いた’60年代の光と影」

080619
写真と本文はきょうも関係ありませんが湘南にて。

【写真展感想メモ〜その3】
「揺れ動いた’60年代の光と影」
作者〜熊切圭介  見た日〜08.6/6(キヤノンギャラリーS)

 60年代日本の世相を反映するドキュメント写真。熊切さんには今まで何度もお会いする機会があったのだが作品のことはほとんど知らないままだった。不勉強を反省しながら見る。
 60年代ニッポンの出来事・・・・デモや通勤ラッシュ、「レジャー」という概念の浸透、その他高度経済成長にかかわる様々なことがらを、作者が週刊誌の取材カメラマンとして撮影し続けた作品群だ。多くの作品で群衆が被写体となっているが、これらの持つエネルギーが強烈な光を放っている。
 学生運動、デモ、集会、日本ダービーの観衆などなど・・・・。発端が、政治的イデオロギーであれ娯楽への目覚めであれ、怒りであれ笑いであれ、それら日本国の群衆が、思いの先にある何かを期待し、信じていた顔に見える。これは21世紀の日本人の顔を見慣れた目にはえらい新鮮なことであった。この頃の人たちはみんな信じてるんだよなぁ、未来を。
 そしてこれらの中から本質を掘り起こそうとし、表現しようとした報道写真というメディアのまっすぐなエネルギーもしかり。
 もちろんそこに熊切圭介というずば抜けた仲介者がいたからこそ、僕らはそれを噛みしめることができるのだろう。

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写真展感想メモ〜その2
「宮本常一と歩いた九州・・・昭和37年」

080615
写真と本文は関係ありませんが品川にて。

【写真展感想メモ〜その2】
「宮本常一と歩いた九州・・・昭和37年」
作者〜芳賀日出男  見た日〜08.6/6(オリンパスギャラリー東京)

 雑誌「太陽」の連載のために、民俗学者の宮本常一氏と写真家・芳賀日出男氏が各地を取材した際に撮影された作品。
 途中で出版社営業サイドの意見により連載が打ちきりとなり、日の目を見なかった未公開写真がほとんど。宮本本人が被写体となっているカットも多数。
 長崎・上五島の頭ケ島キリシタン墓地などの写真もあり、かなり不便な場所までくまなく取材をしていたことがうかがえる(実際に僕が同じ場所へ行ったときには神奈川の自宅から7時間以上かかった)。
 直前に見た「宮本常一が歩いた日本… 昭和37年〜39年」と何割かは同じ場所で撮られている。宮本氏とほぼ隣り合わせの立ち位置から撮られたカットも数点あり、さすがプロとしての上質な仕事ぶりを感じた。芳賀さんがスタッフに話している声がちらと聞こえてくる。「みんな日本のことをまだまだ知らないんだよ・・・・」

 僕自身が生まれる数年前の写真ではあるが、やけに既視感のある風景が多く、幼児期にすごした郷里の空気感を味わうような気持ちになる。
 また、写っている人物一人ひとりの表情が秀逸で、ピントの外側にいるぼやけた人物にさえ、物語のイメージがすっと心の中で広がっていく。あー、世の中の他人さまにもこんなにドラマがあったんだっけ。それを丹念にすくい取れているのも写真家・芳賀さんの力があってこそ、と思う。
 しかし、こんなに「バリアー」を取り去った(取り去るバリアーが元もとないというべきか?)他人の表情が、今の日本にどれほど存在しているのだろう。

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柄にもなく写真展見てます

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柄にもなくやたらと写真展に足を運んでいる。
(いやまぁ、もともと自分が撮る写真にしかキョーミないほうなんすけど)
見たら見たで、柄にもなく感想をメモしたりしている。
もったいないのでここにもメモしとこうかと。
タイムラグめちゃくちゃなので書いた頃には終わってる写真展が多いすけどね。
あ、書かれた人、勝手に書いてすみません。


【写真展感想メモ〜その1】
「宮本常一が歩いた日本・・・昭和37年〜39年」
作者〜宮本常一  見た日〜08.6/5(銀座ニコンサロン)

 民俗学者・宮本常一が昭和35〜39年に取材先で撮影した日本各地のスナップ。ハーフサイズのオリンパスペンで撮影されたものを、大半はベタ焼き(ネガフィルムを1本まるごと印画紙に乗せて焼き付けたもの)の拡大版で展示。

 完成度の高い構図(一見ふつうに見えるんだけど、スキがなーいない)、見事なシャッターチャンスのとらえ方、安定した露出(ベタ焼きだからわかりやすい)などから、あなどれない撮影技術を持っていたことが分かる。同じカメラがウチにもあるが(もう壊れてる)、現代のカメラと比べればピントも露出もカンで合わせるようなもの。プアなカメラでよくぞこんな作品が! と思えてしまう。だいたいこの人、カメラマンじゃないんだから。その意味では天才的なものを感じる。

 それにも増して、腰の据わった被写体との距離感、とでも言えばいいのか、目線の安定感が抜群。日本中どこへいっても何を撮っても距離感が変わらない。どこで撮っても「撮らされていない」と言えばいいんでしょか。民俗学者として各地を見聞きし培った価値観がその土台になっているのだろう。

 一見、瞬発力のあるインパクトを受ける写真ではないが、見るものを引き込む被写体の本質や魅力が、高い密度で封じ込められているような気がする。
 「声高に」というより、ささやいたり、のんびり話したり、というニュアンスかもしれないが、写真が確かに「語っている」と感じた。

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